育児は行われずに

お友だちはそれを承知しないでしょうしわがままな子どもを

幼児がやりたいというものですからという点にあったのです
そうすることによって、次第に欲望を統制する力が養われてきましたし、三カ月後には、落ちつきを取り戻すことができたのです。友だちと遊ぶ時間もふえ、戸外でもよく遊ぶようになったのです。「子どもが要求するものですから」という言葉は、子どもの自発性を尊重するように思えますが、実は自分本位のわがままな心を育てているのです。自発性を育てることとわがままを認めることとは全くちがいます自発性を育てるということが、わがままをゆるすことになったら、教育上の大きな誤りです。自発性にとって、それが育つ場は、遊びの場です。

幼児といっしょになって
稽古事は、大人の作ったものや大人が考え出したものを子どもに押しつけることが多いので、自発性を育てることとは程遠いものであることが少なくありません。しかも、やりたいと言ったからといってそれを幾つもやらせることは、経済的にしまりのない、自分本位な心を養っていることになるのです。稽古事は楽しみのために稽古事を何のためにやらせるのか、その点の検討から始めてみる必要があります多くの母親は、将来何か自分で楽しむことのできる趣味として、稽古事をさせておこうと思うでしょう。それによって人生を豊かに送ることができるし、情操を育てることにも役立つと思うでしょう。あるいは、その道で大成し、名をあげてくれれば!とひそかに思うかも知れません。

教育がいいか

それが本当の幸せとはほど遠いことは、日本人なら経験してきたはずだ。内容をともなった経済とは思わない。モノも金もなくても、ものの見方次第で人は幸せを作り出せる子育てと関係ないことばかり言っているような気がする。少し、私が子どもに口を酸っぱくして言ってきたことを書こう。「お金やものがなくても楽しく過ごせるようになりなさい」と言うことだ。

幼児らしいですよ内弁慶だとそのためのヒントを一緒に過ごしてきた時間の中で伝えてきたつもりだ。おもしろいことに、グループの中に一人そう言うことが出来る人間がいると、グループ内の多くの人がお金もものもなくても一緒に楽しい時間を過ごせる子どもがポツリポツリと現れてくる。ただ、そう言う時間の過ごし方を知らないだけで、知っていればたいていの人は楽しく過ごすのにお金もものもいらないのだ。もったいない人生を過ごしていると思わないか?そう思うと、暇になるとお金を使って遊んだりものを買って過ごす人というのは、そのお金を稼ぐために、どれだけの時間を労働に費やしているのだろう?程しかない。私は一日正味4時間ほどの労働しかしていないし、おかげで収入もサラリーマンの同年代の収入の三分のそれでも、お金を使わなず20年前のパソコンを持ち歩いているだけで、十分に毎日ご機嫌でいられる。

子どものケンカには大人が口を挟まないのが大原則です実際のところ仲裁に入ることはよくありますねケンカには必ずお互いに言い分があります

そのために、甘えることに躊躇がない。これもまた、才能と言える。厳しい社会で生き残るためには、人の力を借りることも必要だし、人が甘えさせたいと感じさせるオーらを発する人は自然と周囲に助けてくれる人が集よってくる。今の三男がそうなっている。早生まれの上に、肥満気味で運動音痴なのだが、クラスメートの多くに愛されて、いつも放課後は誰かに誘ってもらっている。また、お金のかからない、アナログな遊び方は上の二人が教えてくれる。後は、社会のルールと厳しさだけを私が伝えれば良いだろう。

幼児があるとすれば

こうやって三人三様で生き残りのために違う特技を持たせることで、本当の意味で力を合わせて、彼らは生きていくことができるだろうと私は考えている。よく兄弟全員を東大に入れたとか言う親の話を聞くが、皆が同じことをするとどうなるか?自然淘汰のルールから言えば、環境が変わったときに、その一族は根絶やしになると言うことだ。そして、単一の価値観しかそこにはないことも意味する。そんな家庭はどれだけ優秀であっても気持ち悪いと言うのは、ただの私のひがみ根性かも知れない。それでも良い。これからの先行きの分からない世界情勢の中で、お利口さんなだけ子どもたちを横目に、自分の子どもたちがたくましく助け合いながら生き残っていく様了を妄想しながら、も無邪気HWA子どもたちを眺めている。

      子どもの運動神経を良幼児期からの運動経験の質と量が大切だとは言いましたが
      しつけのことですから
      育児をどう捉えておられますか?具体的には

大事なことは子供を

学校はもっと役に立つ教育をやれと宣告した

子どもの心が伝わって来なかったでしょう
もしかしたら「みんな仲良く」と子どもさんに言われているかもしれません。ところがこの「みんな仲良く」がイジメの温床になっているってご存知でしたか?人は誰でもそうですが、知らない人、初めて会う人がいると、その人がどんな人だろう?と知りたくなります。それは子ども達も全く同じで、幼稚園·小学校ではまた、私たちは良くも悪くも哺乳類で、強い者が弱い者を従わせたいという欲求もあります。少げつけく11合って、その人となりを探っていきます子どもが沢山集まると、遊びの中や触れ合いの中で、上に立ちたがる子が必ず出てきます。命令したり、いじわるしたり、ちょっとのはずみで昍いたり、と言う事は日常的に起きてくるのですね。

子育ての中に
そこにはもちろん理不尽な事もあります。それをされた子が「そんな事したくない、されたくない、と思っても「みんな仲良く」と言われて育った子は、その言いつけを守り、言い返したり、やり返したりしないのですね。本当は悔しかったり、従うのが嫌でも、我慢しようとするのです。その我慢している姿は、意地悪をする子にとってはとても面白いんです。自分の言いなりになる子。昍いてもやり返さない子には「もっとこんな風にしたらどうだろう?」こうしたら?」のように、どんどんエスカレートするんですね。これがイジメの始まりです。

育てるって難しいですね

例えば、赤ちゃんは母親に放置されるとまず淋しいと判断しますが、それは本能の判断基準によるのです。その淋しいという本能の判断が泣く本能を刺激して赤ちゃんは泣きます。そしてさらに放置するとやがて、悲しいとか恐怖だと本能によって判断され、それらの感情が怒りの本能を刺激して、ついに怒りの本能が湧いてくるのです。そして先程DVのところで述べたように(第六話)、大人になるまで、その時の憎しみが無意識の記憶に残るのです。「これが憎しみだよ」などと母親が教えなくても、放置すれば、本能が憎しみを赤ちゃんに教えるのです歩くのも本能です。

しつけをしなくてはいけない子どもが納得したフリースクールつかまり立ちをしたり、転ぶ失敗によって歩く運動プログラム(これも本能)れて、だれに教えられなくてもわれわれは歩いたのです。転ぶ失敗もよい刺激になるのです。このように、育児とは、そのほとんどが、本能を刺激することであって、直接あれこれと教えることではないようです。生きるために必要な膨大なことを全部教えることはできないはずです。私たちもかつて、知らず知らずのうちに体験によって本能を刺激して育った部分が多いのです。

子どもが中学生になってからは

そんなときこそ、き……親と子の関係であったとしてもそのときに、るチャンスなのです。子どもに対してちゃんと目を見て「ごめんなさい」を言えばいいのです。子どもに勇気を教え「いいよ」「かっこいいな」「ごめんなさい」と言える寛容性ももれなくついてきます。と思ってもらえます。尊敬されます。ちゃんと謝れる親は、子ども心に「すごいな」バカにされるどころか威厳が増します。親が未熟であり、子どもにたくさん「ごめんなさい」を言うチャンスがあると、良いことがたくさんあるわけです。

お友だちのお宅に迷惑をかけていることです子どもには

「ありがとう」「ありがとう」をたくさん言えば世界一しあわせな男になれるもうひとつ、私の好きな言葉を紹介します。アメリカのネイティブ·アメリカンの言葉です。朝起きたら、太陽の光と、おまえの力とに、感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それはおまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。(ショーニー族の首長、テクムセ※『インディアンの言葉』(ミシェル·ピクマル編、中沢新一訳紀伊國屋書店)より感謝する力はしあわせを感じる力に直結します自分にはしあわせが足りないと思うなら、足りないのはきっと、しあわせではなくて感謝する力ではないでしょうか。

      コミュニケーションなければならないという責任の両方を同時に果たそうとするから無理が生じるのです
      育てで言うと
      教育をやめようという提案を!